====== ナイマン精鋭刀騎士 ====== ^ HP ^ 兵力 ^ 統率 ^ 移動速度 ^ 射程 ^ 弾薬量 ^ 採集能力 ^ | 5080 | 18 | 150 | 10.3 | - | - | 2.02 | ☆2の涼州騎兵と比べ、コストと火力が上がった☆3刀騎馬。\\ シーズン初期の☆3以下戦場では他の騎兵と比較した場合、コストや性能が高く使い勝手に優れる。\\ ルートに関しては上ルートは攻撃力や襲撃冷却時間が短縮され、下ルートは野戦特化型になる。\\ 育成ルートを比較した場合、襲撃を強化できる上ルートの利点が多い。 ===== 兵装材料 ===== ^ 補充費用(戦貨) | | ^ 兵装材料 | 錬鉄6 赤銅4 中糸5 | ^ 生産可能地域 | バルトリア・デマオ・混迷の地・ペアリス | ===== スキル ===== ==== 襲撃 ==== ^ 冷却時間 | 30秒 | 軽騎兵が指定地点を襲撃。 ===== 陣形 ===== ==== 散開方陣 ==== 兵士が散開して立つ方陣。集中攻撃を回避。 ==== 横陣 ==== 兵士が交差する二列に分かれ、広い範囲に攻撃ができる。 ==== 楔形陣 ==== 兵士が三角形に配置され、襲撃に有利。 ===== 開放方法 ===== シーズンチャレンジ「カンの怒り」 ===== 兵団訓練 ===== ==== ■上ルート ==== * 襲撃ダメージ:7%UPx2 * 斬撃破甲値:5%UPx3 * 襲撃ダメージ:7%UPx2 * 襲撃冷却時間:6秒DOWN * 歩兵ダメージ:10%UP * 斬撃ダメージ:2%UPx2 * 襲撃冷却時間:3秒DOWN * 歩兵ダメージ:15%UP ==== ■下ルート ==== * 移動速度:5%UP * 編成人数:2人UP * HP:3%UPx3 * 野戦ダメージ:5%UPx3 * 世界での兵団死亡率:20%DOWN * 糧秣の消耗:20%DOWN * 移動速度:5%UP * 野戦ダメージ:5%UP ===== 調整 ===== ^ 日付 ^ 調整内容 ^ | [[:アップデート240328|2024-03-28]] | ノード「ワールドマップ死亡率、兵団補充消費量がダウン」を\\ 「移動速度がアップ」に変更 | | [[:アップデート230921|2023-09-21]] | 兵団人数:18人 → 21人\\ 統率値:170 → 150 | | [[:アップデート220901#ナイマン精鋭刀騎士|2022-09-01]] | 移動攻撃と【襲撃】時の斬撃破甲が30%アップし、移動速度が提供するダメージボーナス上限を30%から60%に調整。\\ 高速移動時の最大攻撃ターゲット数が1増加し、高速移動時の攻撃で少し兵団をビートバックする。\\ 移動攻撃時の攻撃頻度がアップし、連続攻撃がスムーズになりました。\\ 移動攻撃時の攻撃判定と兵団の移動速度が一致するように最適化しました。 | | [[:バランス調整220512|2022-05-12]] | 刺突ダメージ+45 | ===== 史実 ===== ナイマン族はモンゴル高原の西部に定住しており、数十年の間、高原で最も実力のある部族集団であった。突厥の子孫として、ナイマン族には刀の騎士が多く、きわめて勇敢で戦上手。彼らを見た者は、みんなその勇ましい戦いぶりに感激する。チンギスカンがモンゴルを統一する最後の戦いの相手は、まさにこのナイマン族であった。チンギスは六年をかけて、ようやくナイマン族を征服し、かれらを帝国の精鋭部隊にした。ナイマン精鋭刀騎士は攻撃力が高く、近接戦を極めて得意とする。また、騎士として本人も馬も体力が優れており、ゆえに連続に襲撃して敵の陣形を崩すことができる。一回の襲撃が終わっても、暫く急速を取れば再び襲撃をかけることができる。傑出した将軍は皆、ナイマン精鋭刀騎士を上手く利用することによって、敵軍の弱点を見つけ出そうとしている。但し、素朴な皮製の鎧が、刀騎士に基本的な防御力しか与えていなかったため、彼らを狙った逮距離攻撃に注意が必要である\\ (ゲーム内説明より)\\ モンゴル帝国成立以前の時代にモンゴル高原西北部のイルティシュ川低地地域から上流地域、アルタイ山脈に掛けて割拠していたテュルク系遊牧民で、後にモンゴル化した部族集団。漢字表記は『元史』『元朝秘史』では乃蛮。『集史』などのペルシア語表記では نايمان Nāyimān として現れる。『集史』「ナイマン部族誌」によると、チンギス・カンの勃興以前に、ナイマン王国ではその王位を兄のナルクシュ・タヤン・カンと弟のイナンチャ・カン(イナンチュ・ビルゲ・ブク・カン)とで争っていた。兄のナルクシュは一時「タヤン・カン(大王可汗)」としてナイマン王国を支配したが、彼の死後、弟のイナンチャはナルクシュの子カジル・カンの勢力を倒してナイマン王国を統一した。また、同「ナイマン部族誌」によればナイマン部族を統べる君主のことを自ら「クシュルク・ハン」または「ブユルク・ハン」と呼んでいたという。「クシュルク・ハン(Kūshlūk Khān)」とは「力強く偉大なる君主(pādshāh-i qawī wa `aẓīm)」という意味で、「ブユルク・ハン(Būyurūq Khān)」とは「命令を与える者(farmān dihanda)」の意味であるという。\\ ([[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3|Wikipedia]]より引用) \\ {{tag>[カンの怒り]}}